ふくまる日記

毎日の子育てと介護。泣いたり笑ったりしながら書いています

11月スタート。無の中から見えてきた“これから”

義父のこと、娘のこと、家族のこと。
10月はいろんな出来事が重なって、
心も体も追いつかないまま過ぎていきました。
書きたいことはたくさんあるのに、
いざパソコンに向かうと頭の中は「無」。
それでも、ここからまた何かを始めたいと思っている11月のスタートです。

👇ケアハウスに入るまで

義父は、ケアハウスに入りました。
そこにたどり着くまでには、長い時間がありました。
多額の借金発覚から脳梗塞やガンを患い、
生活保護の申請、家の競売、住む場所がなくなりかけた現実。
そのすべてを、家族として一緒に受け止めてきました。
「支援を受ける」ということを決めるまでには、
怖さも、情けなさも、たくさんありました。
それでも、もう私たちだけでは抱えきれなかった。

ケアハウスへの入所が決まった日、
ほっとしたような、少し空っぽになったような気持ちになりました。
「これで安心」と言えるほど単純ではなくて、
ようやく手放せたものと、まだ手放せない思いが混ざっていました。
正直、今でも“親を見捨てたんじゃないか”って思う瞬間があります。
もっとできたことがあったんじゃないか、と。
でも、現実には限界があって、
家族を守るための選択をしただけなんだと思いたいです。
ケアハウスに入ったから終わり、ではなくて、
ここからまた別の形で、支えていく日々が始まっています。
それでも、手放したかったはずなのに、
心の中にぽっかりと穴が開いたような気持ちが残っています。
安心とさみしさが一緒にやってきて、
どう受け止めたらいいのか、まだよくわかりません。

そんな中でも、家の中ではいつもの暮らしが続いていて。
娘は10月、学校のバス遠足をとても楽しみにしていました。
お弁当の中身を一緒に考えて、
前の日から「まだかな、まだかな」とワクワク。
あの日の笑顔を見て、
大人が現実に押しつぶされそうになっている間にも、
ちゃんと季節は進んでいるんだなと思いました。
夕方、バスから降りてきた娘の顔を見たとき、
ほんの少しだけ、心の中に明かりがともりました。

そして最近、少し驚くことがありました。
以前書いた「義父の家が競売にかかった日|売れなかった家に残った思い」の記事が、
私の今までのブログでいちばん読まれていました。
コメントもいただいて、
誰にも言えない現実を抱えている人が、
きっとたくさんいるんだと思いました。
私の家の話が、誰かの“ひとりじゃない”につながるなら、
書いてよかったと心から思います。

義父のことも、家族のことも、仕事のことも、
すぐに答えが出ないこともあるけれど、
“見てくれる人がいる”という現実が今の支えです。
職員さんや支援員さん、家族、そして友人たち。
たくさんの人の目が入ることで、
私がやれることが少しずつ増えていく気がします。

11月。
無の中に、少しだけ希望を感じながら、
育児も介護も仕事も、私なりのペースで続けていこうと思います。

今日も読んでいただきありがとうございました。
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