ふくまる日記

毎日の子育てと介護。泣いたり笑ったりしながら書いています

子連れ四国遍路、ゆっくりはじめてみます。

娘と車で、少しずつ四国遍路をまわってみようと思っています。
一気には難しいけれど、だからこそ、ゆっくり味わいながら。
そんな“親子遍路”のはじまりです。

私には、心を軽くしてくれた心理系YouTuberさんがいます。
介護や子育てでしんどかった頃、その人のLiveに何度も救われました。
ある日、その方が歩きで四国遍路をしていて、
思い切って連絡をしたら、なんと会ってくださって。
あの出会いがきっかけで、私は少しずつ引きこもりから抜け出せました。
あの日から、人生の風向きがふわっと変わった気がします。

だから、四国遍路には特別な思いがあります。
いくつかのお寺にはとびとびで行ったことがあるけれど、
ちゃんと一周したことはまだなくて。
本当は義父の施設のことが落ち着いたら、一人で行こうと思っていたんです。
でも最近は、娘にもこの素敵な文化を体験してほしいと思うようになりました。
お寺で感じる静けさや、出会う人のあたたかさ。
“お接待”という四国ならではの優しさを、娘と一緒に感じたいなと。

そもそも「お遍路」って?と思う方もいるかもしれません。
四国八十八ヶ所と呼ばれるお寺を巡る旅のことを言います。
弘法大師空海)ゆかりの地をまわりながら、
自分と向き合ったり、感謝の気持ちを思い出したりする時間。
昔は修行の旅として始まったけれど、
今では老若男女、誰でも参加できる“心の旅”のようなものです。

信仰がなくてもお遍路はできます。
今では、宗教的な理由だけでなく、さまざまな目的で巡る人が増えています。
たとえば「故人の冥福を祈る」「自分を見つめ直す」「心を整える」など、
それぞれの思いやタイミングで旅を始める人が多いんです。

また、四国遍路は“歩く修行”だけではなく、
リフレッシュや観光、そして単に「歩くのが好きだから」という理由で始める人も。
そんな多様さをやさしく受け止めてくれるのが、
地元の人たちのあたたかい「お接待」の文化です。

食べ物や飲み物を差し出してくださるその心は、
「お遍路さんの中に弘法大師がいるかもしれない」という思いに基づくもの。
宗教や立場に関係なく、すべての人を尊重し、
「よう来たね」と迎え入れてくれる四国の優しさそのものです。

四国遍路と聞くと、厳かな旅を想像するかもしれませんが、
実はまわり方は本当に自由なんです。
歩いて巡る「歩き遍路」、車でまわる「車遍路」。
一番札所から順にまわる「順打ち」もあれば、逆から行く「逆打ち」も。
外国の方が歩いていたり、休みのたびに少しずつ巡る「区切り打ち」もあります。
どれも正解で、どれもその人らしい旅。

私たち母娘(たまに夫)は、車で少しずつまわる予定です。
行ける時に行けるだけ。
そんな緩やかなペースでも、きっと何か感じるものがあると思うんです。
地図を広げて「次はどこに行こうか」と娘と話しているだけで、
もうすでに旅が始まっている気がします。

こうして言葉にしてみると、少しずつ現実になっていくようで不思議です。
夢や願いって、きっと“声に出すこと”から始まるんですよね。
少しずつ、私たちらしいお遍路を綴っていけたらと思います。

まだ何も始まってないのですが、
実際、お遍路で用意するものなども含めて記録していきたいと思います。

今日も読んでいただきありがとうございました。
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